中村翠恒(三代 中村秋塘)

三彩釉華文台鉢 共箱

サイズ:高8.5cm 径25.4cm

\120,000

 *高台の内側に「社團法人・日本美術及工藝統制協會」のシールがあります。
  出品中には箱がなかったのでしょうか、「箱制作中」と有ります。
  推察すると、戦時中に制作された作品でしょうか。
  箱の蓋裏に「九谷螢窯」と有ります。
  



  *中村翠恒(すいこう) 明治36年〜昭和60年(82歳)

  中村翠恒は本名恒(ひさし)。
  明治36年4月3日に、大正期の赤絵九谷の名工初代中村秋塘の次男として生まれる。
  父の勧めで県立工業学校窯業科から京都の国立陶磁試験場に入り研修を積む。
  その間、安達陶山、二代伊東陶山、河村蜻山らに薫陶をうける。
  さらに板谷波山に師事し陶彫に開眼する。
  昭和3年父秋塘の死去に伴い二代秋塘となった長兄繁が、昭和6年に亡くなる。
  次男である彼は三代として秋塘を継ぐことになった。
  長兄の長子彦一秋塘の名跡を譲った昭和20年からは翠恒を名乗り独立。
  昭和3年帝展初入選以来、その後に帝展、新文展、日展と入選を重る。
  昭和45年改組第2回日展で文部大臣賞をうけ、日展作家としての地位を不動のものとした。
  一方、戦前戦後にかけ15年間、母校県立工業で後進の指導にあたっている。
  また県陶芸協会や県指定無形文化財の九谷焼技術保存会の要職につき、九谷焼の発展にも多いに寄与する。
  翠恒の取り組んだ作品は、染付、色絵、三彩手、窯変など多岐にわたり、その技量の深さは量りしれない。
  素地制作も一貫して自らおこなう。
  若いころ彫刻家になりたかったという力量を遺憾なく発揮している。
  なかでも三代秋塘時代をふくめ制作した陶像作品には瞠目される。
  正確で切れ味鋭い表現力と見事なまでの賦彩のマッチングは他の追従を許さない。
  刻線で文様の輪郭を描きさまざまな釉薬を駆使して表現された作品群はまさに翠恒独自の世界を醸しだしている。
                                         平成17年 没後20年記念 中村翠恒作品展より



  *日本美術及工芸統制協会

  昭和15年、洋画、日本画、彫塑、工芸の各美術分野では次々と作家達を「統制」する団体が生まれる。
        その目的は数多い美術団体を時局に備えひとつに統合していく事にあった。
        また「美術資材の配給」も行うという性格も持っていた。
        戦時下、不足していく美術資材への対策でもあったのである。
  昭和18年、12月最終的にこれらの団体を統合した「日本美術及工芸統制協会」によって全美術資材が握られる。
        政府に協力的な作家に優先的に配給がされることとなる。
        日本美術及工芸統制協会が創設され,作品材料の統制を行う。
  昭和19年、9月情報局が美術展覧会取扱要綱を発表し、公募展を禁止した。
        これにより展覧会はいずれも中止され、美術団体が解散した。

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